7 3月

「違いとズレの「個」の共同作業から新鮮なる癒しの風が吹き抜ける」

私が物心ついたころから世界が違ってみえた。みんなが右と言ったら、私は左をみていた。みんなが左と言ったら、私は右をみていた。おまえは変わり者だとよくいわれた。
でもね、嫌な感情はうまれなかった。勘違いしないでほしい。変わり者と言われて偏見に結びついていた時には、怒りの感情がうまれていた。
それは、人権蹂躙=人権侵害だ。みんなと違う「個」としての人格をもつ存在であることを自覚すればするほど、私は快感さえ覚えた。
今でもそれは同じである。みんなと違うと言われると何故か心がワクワクする…、うれしい、たのしい感情で一杯だ!。
「個』と「個」の違いとズレの共同作業こそが、癒しある人間模様と芸術的世界を創造するのだと確信するからである。
そこにマンネリ化はおこらない。常に、新鮮なる癒しの風が吹き抜ける。
みんなと一緒におみこし担いで、ワッショイ・ワッショイたのしいお祭り。これも共同作業だ。
でもね。ここで大切なことを忘れてはいけないよ。そこから外れたら村八分。それだけはやめようね。